葛飾北斎みたいに
1投稿者:@  投稿日:2011年11月06日(日) 15時39分26秒
人生のピーク入口を70代にもっていく予定なのでまだ余裕。
2投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2011年11月06日(日) 15時52分08秒
北斎って何歳?
3投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2011年11月07日(月) 08時42分40秒
その後も北斎は富士を描き続け、74歳で『富嶽百景』を完成させる。そのあとがきにこう寄せた--「私は6歳の頃から、ものの姿を絵に写してきた。50歳の頃からは随分たくさんの絵や本を出したが、よく考えてみると、70歳までに描いたものには、ろくな絵はない。73歳になってどうやら、鳥やけだものや、虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿とかが分かってきた。だから80歳になるとずっと進歩し、90歳になったらいっそう奥まで見極めることができ、100歳になれば思い通りに描けるだろうし、110歳になったらどんなものも生きているように描けるようになろう。どうぞ長生きされて、この私の言葉が嘘でないことを確かめて頂きたいものである」。

だが『富嶽百景』を刊行した頃は、人々の興味は30代の若い天才絵師、広重の風景画に移っていた。北斎の人気に陰りが見え、再び借金が増えていく。そこへ天保の大飢饉が起こり、世間はもう浮世絵どころではなくなった。老いた北斎は最初の妻、2度目の妻、長女にも先立たれ、孫娘と2人で窮乏生活を送る。79歳の時には火災にあい、まだ勝川春朗の名だった10代の頃から70年も描き溜めてきた全ての写生帳を失う悲劇に遭遇する。この時北斎は一本の絵筆を握り締め「だが、わたしにはまだこの筆が残っている」と気丈に語ったという。
※83歳の時の住所録では「住所不定」扱いになっている。
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