やっぱり幼女は
1投稿者:チータス  投稿日:2010年06月29日(火) 13時57分46秒 ID:REjFaYw2
2次元に限る
3次ロリはやっぱ魅力ない
2投稿者:わんわん  投稿日:2010年06月29日(火) 14時10分30秒 ID:ZFXJ5MJE
やっぱりサンマは目黒に限る
3投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2010年06月29日(火) 14時30分12秒
殿様が目黒へ鷹狩に出た際に、供が弁当を忘れてしまった。殿様一同腹をすかせているところに嗅いだことのない旨そうな匂いが漂ってきた。殿様が何の匂いかを聞くと、供は「この匂いは下衆庶民の食べる下衆魚、さんまというものを焼く匂いです。決して殿のお口に合う物ではございません」と言う。殿様は「こんなときにそんなことを言っていられるか」と言い、供にさんまを持ってこさせた。食べてみると非常に美味しく、殿様はさんまという魚の存在を初めて知り、かつ大好きになった。

家臣のいらぬ世話により醍醐味を台なしにした状態で出され、これはかえって不味くなってしまった。殿様はそのさんまがまずいので、「いずれで求めたさんまだ?」と聞く。「はい、日本橋魚河岸で求めてまいりました」「ううむ。それはいかん。さんまは目黒に限る」。
殿様が、海と無縁な場所(目黒)でとれた魚の方が美味いと信じ込んでそのように断言する、というくだりが落ちである。世俗に無知な殿さまを風刺する話でもある。
4投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2010年06月29日(火) 14時31分04秒
鷹狩場とはどこか [編集]
江戸時代、将軍は鷹狩場を複数持っていた。単に「御場」とも呼ばれた。当然鷹狩り場なので、広い土地であることが求められる。その中の一つが「目黒筋」である(旧称:品川)。江戸期に「目黒筋御場絵図」という地図がまとめられ、鷹狩り場の範囲を知ることができる。馬込・世田谷・麻布・品川・駒場など、とんでもなく広い範囲がすべて含まれる。
なお、江戸期に目黒筋鷹狩場の番人の屋敷であった場所は、現在鷹番と呼ばれている。

サンマを食したのはどこか [編集]
鷹狩場近辺に徳川幕府の庇護(ひご)下にあって繁栄した目黒不動がある。将軍は鷹狩・目黒不動参詣のあとに近辺の茶屋で休息したという。この茶屋は彦四郎という名の百姓が開いたとされ、将軍家光が彦四郎の人柄を愛し「爺」と呼びかけたことから、爺が茶屋という名がついた。
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