- 1投稿者:ぜんこさん 投稿日:2010年01月18日(月) 23時51分39秒 ID:FMHdpWb8
- もうちょっとマシな感じだったかもね
- 2投稿者:(o!o) 投稿日:2010年01月18日(月) 23時55分17秒
- ボケの難易度が高すぎる
- 3投稿者:ぜんこさん 投稿日:2010年01月18日(月) 23時57分38秒 ID:FMHdpWb8
- 大学での卒業論文のネタでした
- 4投稿者:まりぃ@怪盗天子ついんオショウ 投稿日:2010年01月19日(火) 00時08分49秒 ID:/bMRayaI
- ダイエー帝国で王さんが活躍できたはずだ
- 5投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2010年01月19日(火) 00時21分58秒
- 1919年2月13日、日本全権である牧野伸顕が新設される国際連盟規約委員会において、連盟規約に人種的差別撤廃を入れるように提案した。これは「人種あるいは国籍如何により法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す」というもので、国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初である。
当初、この提案は多くの植民地を有するイギリスや白豪主義政策をとるオーストラリアなどに猛反対され一度は退けられた。しかし、西洋列強の圧力に苦しんでいたリベリア人やアイルランド人などから人種的差別撤廃提案に感謝の言葉を受けた日本は説得交渉を続ける。
4月11日の最終委員会において日本は連盟規約前文に「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」との文言を盛り込むという修正案を作成し、再度提案する。イギリスが修正案に反対し採決を却下させようとするが、日本は「修正案はあくまで理念をうたうものであって、その国の内政における法律的規制を求めるものではないにも関わらず、これを拒否しようというのは、イギリスが他の国を平等と見ていない証拠である」とし、修正案の採決を求めた。
修正案は採決の結果、出席者16票中11票の賛成(フランス、イタリア他)を得るに至り、賛成多数により可決かと思われた。しかし議長であったアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンはこの案に反対。それまで全ての議題は多数決で採決されていたにも関わらず、突如『重要な議題については全会一致が必要である』として日本の提案を退けた[1]。