意味に関する断章
1投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2007年07月10日(火) 01時43分00秒
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人生に意味があるのかというような疑問は、
ホモサピエンスが遺伝子に代わる情報伝達手段である
言語を発達させ、また集団行動を行ううちに
複雑な外界への適応反応ソフトウェアである「心」を
取得したことによって起きる後天的なシステム障害であり、
生の目的ではなく手段である言語による「意味」で
世界の全てを被覆しなければ満足できない不具合である
意味は生の手段であり、目的ではない
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それでも人は人生についての意味を考えてしまう。つまり、ヴィトゲンシュタインの
言うところの「語り得ないもの」について語ろうとする
それがハイデガーの言う現存在(人、と言わないところが彼の優れているところなのだが)
のイデオロギー的性質であり、それが現存在の存在の特質ともいえる
言語のそもそもの成立の由来は、すなわち世界を欲望体系に分節化し、組織化する
ための座標化システムであり、そのことから考えればそもそも具体的な物質と自分
との位置づけのためのものであり、抽象概念は欲望達成のための思考速度を上げる
ためのものである
であるから即自的な欲望達成のための手段としての思考に該当しない「人生とは何か」
という形而上学的問いはそもそも言語の本来の使用法から離れており、むしろ逆行している。
しかし、歴史的に見れば、その形而上学的問いの中で洗練化される抽象概念が例えば
数学に発展し、法学や経済学、そして投資のための学問や思考法の基礎を支えている
という皮肉な結果をもたらしている。
あたかも鉄棒やランニングそれ自体には意味が無いが、繰り返すことによって筋力や
心肺機能が向上するかのような感じだ
そもそもが解答が無く無意味なはずの「語り得ないもの」について語ろうとする人間
(現存在)の本性が、「語り得るもの」についての新しい観点や論点を語り得ないもの
との会話の中から見出しているようにも思える
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