くさちゅの汁
1投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛アケオメー  投稿日:2007年01月07日(日) 21時25分38秒
くさちゅの汁です(イビ(>ω<)
2投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛アケオメー  投稿日:2007年01月07日(日) 21時30分24秒
[編集] エロゲの歴史
エロゲの起源は定かではないが、現在確認されている最古のエロゲは1987年にエジプトで発掘された。古代エジプトの有力者の墳墓に遺体と共に紀元前1500年頃に埋葬されたものであると考えられている。

古代におけるエロゲはギリシア、次いでローマにおいて長足の進歩を遂げた。プラトンの著した『弁明』では青少年に無闇にエロゲを薦めたとしてアテナイで告発されたソクラテスの姿を見ることができる。同じくプラトンの『クリトン』は処刑を前にするソクラテスとその親友クリトンのエロゲに関する対話である。

紀元前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)の東征により、ギリシアの洗練されたエロゲが東方に伝播することになった。

ギリシアの衰退後、西洋世界におけるエロゲの中心地は当時新興国であったローマに移る。

3投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛アケオメー  投稿日:2007年01月07日(日) 21時31分11秒
ローマにおけるエロゲ
既に共和制下のローマにおいてエロゲは知られていたが、当時はまだ元老院階級の一部の人間にギリシアの芸術として楽しまれていたに過ぎなかった。しかしポエニ戦役後、ローマの東方への進出に伴い、ギリシアの芸術がローマに大規模に移入され元老院階級のみならず幅広い層に楽しまれるに至った。

ユリウス・カエサルのガリア征服によってエロゲは北方にも伝播し、ガリア(フランス、ベルギー、オランダ)やブリタニア(イギリス)でも楽しまれた。カエサルはローマの防衛線としてライン川を示したが、これによってゲルマニア(ドイツ)へのエロゲの普及は遅れ、後代蛮族の侵入によるローマ帝国崩壊の遠因となった。

共和制ローマの代表的な哲学者・政治家・作家・オタクであるキケロは親友アッティクスとの2678018通に及ぶ書簡の中で、頻繁にエロゲについて言及している。キケロの死後、これらの書簡はアッティクスによって出版され、後世の研究者にとりまたとない資料となった。

帝政移行後のローマにおいて、初代皇帝のアウグストゥスはエロゲを手厚く保護し普及に努め、結果エロゲはローマの覇権下にある地中海世界の広きに渡って普及した。アウグストゥスを継ぎ皇帝となったティベリウスはカプリ島の別荘に引き篭もりエロゲに熱中した。このことはタキトゥスを初めとする後代の歴史家から口を極めて非難された。

五代目の皇帝ネロの家庭教師を務めた哲学者セネカは著作『エロゲについて』(De Erogema)においてエロゲについて詳細な検討を行なっている。

皇帝に就任したネロはあらゆるエロゲをやり尽くし、やがてオタクの権威者と呼ばれたペトロニウスがレビューで高得点を付けたエロゲー以外は行わなくなった。ペトロニウス自身も『サテュリコン』と題した同人エロゲを制作しているが、内容はショタである。後に、ペトロニウスは自殺に追い込まれるが、その際にネロに対してネロが熱中していたエロゲの攻略法を記して、厳重に封印した上で送った事は有名である。

4投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛アケオメー  投稿日:2007年01月07日(日) 21時40分56秒
おっさんの汁
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