佐藤兄弟の実家は
1投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2006年08月14日(月) 20時31分13秒
埼玉・春日部でラーメン店を営んでいた。地元では評判の人気店だったが、
兄弟が小学校6年のときに、千葉(市原)のユースに通うため、店をたたみ、家族全員で引っ越した。

 しかし、そんな親の苦労を知らず、勇人は高2と高3の2度にわたり、サッカーを辞めかけたことがある。
グレてゲームセンター通いを続ける勇人。それでも、父・政人さん(52)は、
練習場に現れない勇人の分まで、月謝を払い続けたという。

 もともと実力はあった。千葉国民体育大会で、当時のチームメートだったDF闘莉王は
「勇人はボランチ。一緒にやっていた。すげえプレーは強かった」と評する。
ただ、監督やコーチとソリが合わなかった。

 高3の12月には、当時のユース代表・西村監督から代表招集がかかった。
しかし、電話での返事は「今、日焼けサロンにいるので行けません」。

 この一言で招集が立ち消えになった話はあまりにも有名。
そんな煮え切らない兄に代わって、弟はいつもわびを入れる役回りだった。

 高校卒業後、兄弟そろってユースからプロに昇格。だが、兄・勇人はその後も監督とはソリが合わず、
移籍話も度々浮上した。ところが、移籍先の監督が「そんな日焼けサロンとかに行っているヤツは
とても使えない」と一蹴。代わりに弟・寿人が移籍するハメになった。

 そして03年、勇人はオシム監督と運命的な出会いを果たす。

 「ライオンに追われたウサギが逃げる時に肉離れをおこしますか?」

 今ではあまりにも有名となったこのオシム語録は、実は勇人に向けられたものだった。

 勇人は「うまいことを言うなぁ」とこの言葉に深く感銘を受け、以後、サッカーに情熱を燃やすようになる。
それまでやる気のなかった勇人が、監督から見られていることに気づき、見違えるような成長を遂げたのだ。
http://sports.nifty.com/headline/soccer/index.htm
2投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2006年08月14日(月) 20時32分58秒
カッキーが今朝言うちょったよ
3投稿者:腐れ厨房(゚腐゚)  投稿日:2006年08月14日(月) 20時50分33秒
クルK垣花兄ィ。
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