史上最愚の悲劇インパール作戦
1投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2004年07月13日(火) 11時43分16秒
後退を始めてたしか三日目だ。負傷して早くさがった兵隊が、すでに死体と
なって、路傍に点々ところがっていた。餓死か病死であろう。その目、鼻、口
からはいったうじ虫が腹のなかまでくいこんで、もくもくとうごめいていた。
このうじの餌食になったら最後、死体はたちまち白骨となり、うじは丸々と
肥えたはえとなって、次の餌物をあさって行く。
「おい、あの男はなんだ」と戦友にいわれてふり返って見ると、飯盒片手に、
つえにすがった兵隊が足にボロをまいて、とぼとぼとついてくる。のび放題
にのびた髪に、うじが真っ白に生みつけてある。そこへ群がるはえ、これを
追い払う意識もなければ気力もない。すでに死期が迫っているのだ。
 また、ある者は妻子の写真を木の枝にかけたまま、おがむように死んで
いる。ズボンをとって、股にくいこんだうじをとってくれと哀願している者。


http://www.ne.jp/asahi/hokuso3/hokuso3/html-bm-chin1-20.html
2投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2004年07月13日(火) 11時44分42秒
●地獄絵図には更に細かい描写が加えられている。
第百三十八連隊本部の伊那政雄上等兵は、異様な声におどろいて、ふり
かえった。
「もうすこしだ。がんばれ。がんばれ」
 ぼろぼろの服をきた、本部の軍曹だった。両わきに、ふたりの兵をかかえ
こんでいた。それをひきずりながら歩いていた。飢えているにしては、すさ
まじい力だった。よく見ると、両わきの兵の肉体は、腐りかかっていた。
軍曹は気が狂っていた。
 途中で自決する者も少なくなかった。なかでも第百二十四連隊第一大隊
第三中隊岡部徳行上等兵(福岡県遠賀郡水巻町出身)は、骨が砕けて
うすい皮でぶらさがっていた左腕にウジがわくと、
「どうせ、つながらぬ腕をいつまでつけていてもしかたがない」
 と自分の右手でぶち切ったほどの豪胆さだった。しかし"八十四マイル
道標"付近までたどりつくと、高熱で体の自由がきかなくなった。
「とうとう死ぬときがきたか」
 平然といって部落の民家に入り、いろりの横に腰をおろすと、
「おい、これに弾をこめろ。こらッ、ふるえる奴があるか。死ぬのはお前じゃ
あない。オレだぞ」
 と、冗談のようにいって、初年兵に小銃の弾をこめさせた。
「先へいってるぜ」
 いいざま、銃口をわが口の中に突っ込み、足の指で引き金をひいて
果てた。
3投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2004年07月13日(火) 11時45分40秒
激しい赤痢もまた将兵の生命を奪った。死体は火葬する余裕はなく、置き
去りか、または穴を掘って十も二十も投げ込むのだ。その穴を掘っている
兵も作業の途中で赤痢に倒れ、たったいま自分が掘ったばかりの穴へ投げ
込まれたり、わずか二十メートル先へ用をたしにいったまま、もう帰る気力
が尽きて息絶えるような悲惨な死が続出した。(中略)
 空腹と疲労は、人間の虚飾と良心を失わせ本性をさらけ出させた。
名中隊長、名分隊長と称せられた人が、自己保全のため、部下を犠牲に
する者さえ出た。
 また、既に気を失いかけている患者を谷底に落とし、自己の負担を軽く
した担架隊員があった。しかも、患者の指一本を、死んだ証拠として切り取る
ことを忘れていないのだ。谷底からは、しばしば「助けてくれ」と、泣き叫ぶ
声が聞こえた。
4投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2004年07月13日(火) 11時46分48秒
●置き去りにされた重症患者は、追撃してきた英印軍によって生きたまま
 「焼却」される場面もあった。
 本道のはしには、担架に乗せられたままの患者をならべてあった。また、
インパール河の橋を渡ったところにも、十数名の患者が横たわっていた。
全部で百二十名ぐらいいた。よく見ると英国兵が、その両方の患者を調べ
ていた。そして、そのなかから選びだした患者を、本道上のジープに運んで
乗せていた。はじめは重症患者かと思ったが、あとになって、将校を連れて
行ったのだとわかった。(中略)
 幾台かの戦車が監視をするかのように、近くにきていた。
 インド兵は患者たちに水のようなものを盛んにかけ始めた。栃平は患者
たちが暑がっているし、汚れてもいるので、敵さんが川の水をかけてくれて
いるのかと思った。くわえたばこのインド兵が前かがみに動いた瞬間、
一連の火勢が患者の列に走った。悲鳴、怒号、うめき声のまじるなんとも
言えぬ叫びが湧き上がった。
−高木俊朗氏著「憤死」より(文春文庫刊)−
5投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2004年07月13日(火) 11時51分06秒
●インパール作戦に参加した3個師団の戦死者・戦没者は以下の通りである。
 第31師団(烈) 参加将兵23,138名の内、11,500名
 第15師団(祭) 参加将兵20,548名の内、12,300名
 第33師団(弓) 参加将兵22,376名の内、12,500名
 合計        参加将兵66,062名の内、36,300名
 以前にある戦友会を通じてお知り合いになった方に「軍隊とは本来、国民
 の生命を守るためにあるはずなのに、国民である兵隊を3万人も犬死に
 させるというのは矛盾してますよね」とお話ししたことがある。
6投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2004年07月13日(火) 11時54分35秒
俺の親戚のおじさんがビルマいって奇跡的に生き残って帰ってきたが、
こういう状況を経験してきたんだな・・・

今はビルマの青年を家で預かって、日本の大学に通わしたりしているよ。
7投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2004年07月13日(火) 12時10分52秒
戦場を駆けた軍人も今では年金年金わめくだけだ
8投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2004年07月13日(火) 12時28分58秒
こんなめにあったんだ、年金ぐらい払ってやれ
9投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2004年07月13日(火) 12時42分24秒
インパール作戦の問題は、牟田口廉也という男の独断によってこれだけの
多くの人間を死なしめたことだな。
東京から岐阜まで2千メートル級の山が連ねる熱帯地帯で
十分な補給もつけずに作戦を断行させたのだから。

ちなみに牟田口は盧溝橋事件でも独断で発砲命令を出し
日中戦争を引き起こしている。
10投稿者:こうは  投稿日:2004年07月13日(火) 12時43分36秒
無駄口?
11投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2004年07月13日(火) 12時44分27秒
むたぐち
12投稿者:ぜんこさん  投稿日:2004年07月13日(火) 12時44分52秒
インポート高松とは関係無いっぽいな。
13投稿者:こうは  投稿日:2004年07月13日(火) 12時45分33秒
マジレス不要
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