彼の思想は「浄土の教え」と呼ばれている
1投稿者: 投稿日:2009年10月13日(火) 22時09分04秒
スキャンダルだった。
何しろ、子どものころから数十年にわたって比叡山で修行を積み、「智慧第一」とあだ名されるほどの秀才僧侶だ。それが、突然、山を下りると京のみやこに移り住み、「修行はいらない、戒律も守らなくていい」と言い出したのだ。「念仏さえ唱えれば極楽へ行ける」「悪人こそ救いの対象だ」と。

ときは平安末。秀才僧侶の名は、法然。
彼の思想は「浄土の教え」と呼ばれている。
2投稿者:俺は変質者だけどな  投稿日:2009年10月13日(火) 22時18分48秒
つい最近、知恩院で「800年大遠忌」をやってましたね。
3投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2009年10月13日(火) 22時22分45秒
人間は、先達の無機系、有機系、動植物系の御蔭によって、大宇、地球水惑星、星人の一員として生誕することができました。人間は、大宇の眷族であり、心身的存在です。大宇の整合的、矛盾的な倫理、価値、あるいは諸性、諸法、諸力、諸行、諸縁、諸相の基本、核心を具有した全系的存在でもあるのです。したがって、自己内外の有情、無情一切を全心身、哲学、宗教、超宗教、科学、芸術をもって、感得、痛感しうる存在なのです。人間は、諸系を利用し、迷惑をかけ、生類を食し、大罪を犯さざるをえない極悪、極悲の存在でもあるのです。
 しかし、それとともに、自然的先達が協働し、創造した大宇を継承し、それ以後の人為的、
文化的世界を創造する大任、重責を担う存在。実在的な広義、高次の世界の創造主でもあるのです。人間は、自然と協働し、高低、真偽、実虚多様な文化、社会を創造します。全知全能の神、仏、宗教、科学、芸術も自然と協働した人間の産物です。先達の自然・人類遺産を神化、墨守、俗用、凶用し、あるいは単純放棄するのは、極悪、大罪なのです。それらを謙虚に創造的に学び、超えることが必要です。それが先達に対する真義の尊敬、感謝なのです。
4投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2009年10月13日(火) 22時23分21秒
人間として生を享けた本源的意義、使命、大任を自覚し、本源的大罪、?分を慚愧することが必要です。その大任の万分の一なりとも果たし、真義の贖罪をすることが必要です。それを欠き、宗教その他の産物を俗用、凶用し、人獣的、知獣的本性、弱肉強食、収奪、寄生、腐朽の本性、共食い共殺し、食い散らし垂れ流しの本性、諸様式を固執し、狂相、汚相、危相、凶相を競合、拡大するのは、大宇の凶徒、大罪人なのです。
 人間には、中間を挟んで、現状に埋没、狂奔する前史の段階、その主役と、それを深恥、深省し、超克する本史の段階、その主役が存在するのです。後者の系譜が出現、結集、増大し、中核となることが必要です。そして、高低、新旧多様な諸系、諸人、諸界。前史と本史の人間、文化、社会。さらには聖俗・超聖俗、超人・人間、超理想・理想・実現……の互省、互学、互競、互助、互働、互甦、互革を展開することが必要です。
 それによって、実在的な広義、高次の人間、文化、本史の世界を具現、享受すること、させて頂くことができるのです。
5投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2009年10月13日(火) 22時24分29秒
個人スレ板の大聖帝さんみたいだ。
6投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2009年10月13日(火) 22時32分22秒
一言で救われると言うわりに説明長ぇなあー
7投稿者:俺は変質者だけどな  投稿日:2009年10月13日(火) 22時33分08秒
要するに「他力本願」ってよく誤解されてるけどね。
「他力」とは阿弥陀仏の働きの事を言うんです。
即ち「他力本願」とは自分が選択した仏の救いの力を
信じることなんですよ。
8投稿者:俺は変質者だけどな  投稿日:2009年10月13日(火) 22時41分24秒
「悪人こそ救われるべき」と言うのはね、
悪人は自分が悪だと言う自覚と反省があるからなんですと。
これは後に法然の弟子の親鸞が「歎異鈔」の中で言ってますね。

「善人なを以て往生をとぐ。いわんや悪人をや。」
これはある意味パラドックスなんですが

善人ですら極楽浄土に行く事ができる。
ましつや悪人が極楽浄土に行けるのは当然ではないか。
9投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2009年10月13日(火) 22時42分27秒
ましつや
10投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2009年10月13日(火) 22時45分58秒
ましつやや
  ああましつやや
     ましつやや 
11投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2009年10月13日(火) 22時46分30秒
ましつやま あーましつやま ましつやま
12投稿者:俺は変質者だけどな  投稿日:2009年10月13日(火) 22時46分53秒
とりあえず「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土に行けるなんて
当時としては画期的だったんでしょうね。
しかも親鸞は「肉食妻帯」つまり妻がいたんですな。
仏の道に仕える者としつは異例だったんです。
13投稿者:11  投稿日:2009年10月13日(火) 22時47分26秒
市ぬぞボケ
14投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2009年10月13日(火) 22時48分06秒
者としつは
15投稿者:俺は変質者だけどな  投稿日:2009年10月13日(火) 22時48分41秒
また誤字か
16投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2009年10月13日(火) 22時49分49秒
さっき聞きかじってきた話と>>8が違ってて少々戸惑っている
17投稿者:中卒  投稿日:2009年10月13日(火) 22時53分34秒
自分が悟った思った瞬間から転落が始まると言われています
これは仏教の根本ですし人間の心の中の悪と言うものは
完全になくなるものではなく修行が進むほどちょうど心の中の小さなカプセルの中に
悪を上手く閉じ込める事が出来る人と言うことになります
これは決して人間性悪説という事ではなく悪と言うのは善を気づかせるもの
善の素晴らしさを理解するための引き立て役に過ぎず
世の中の全ての悪は必要悪であると言い切れると思います
18投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2009年10月13日(火) 22時55分11秒
詳細は宗教板
19投稿者:俺は変質者だけどな  投稿日:2009年10月13日(火) 22時55分21秒
以下抜粋です。

自ら善を励み、自分の徳や善によって極楽往生しようとする人は、
阿弥陀如来におすがりしようとする心が欠けているので、
阿弥陀如来の救済の本来の対象ではないと言える。





らしいです
20投稿者:中卒  投稿日:2009年10月13日(火) 23時25分34秒
悟るには自力天狗でも他力本願でもいけない
自力と他力の両方の力が必要ということです
宗教板行ったら龍健さんいるんでしょ
怒られそうだからなんか行きづらいです
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(゚Д゚) <