- 1投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 18時06分39秒
- 大きな家を建てたでしょう
- 2投稿者:いつだってトーンダウン 投稿日:2004年07月12日(月) 18時07分59秒
- 難しい
- 3投稿者:腐れ厨房(゚腐゚) 投稿日:2004年07月12日(月) 18時09分42秒
- かくもプチブル趣味を恥ずかし気もなく露呈した歌を、私は知らない。
含羞も、挫折の影もなく、ただ他者不在のノッペリとした平面的な願望を
垂れ流すこの歌を、私は大変気味の悪いものと考える。
以下、歌詞の内容を正確に覚えてはいないが、批判を展開してみよう。
『♪もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう〜』
金が無いので小さな家を建てました、というなら話はわかる。
だが、この場合は恐らくそうではない。
「私たちは、もっと大きな家を建てる小金はあるんですけれど、
でもショートケーキみたいな小さな家が好みなんです。
私たちは慎(つつ)ましいんですよ、ええ」
とでも言いたげである。
実に厭味という他ない。
そもそも、慎ましいかどうかは他人様が決めることであり、
自分で自分のことを「慎ましい」などと言うのは、その対極にある態度であろ
う。
世間ではそんな態度を「厚かましい」というのだ。
- 4投稿者:腐れ厨房(゚腐゚) 投稿日:2004年07月12日(月) 18時09分58秒
- 『♪大きな窓と小さなドアと〜』
小さなドアというのは実に象徴的である。ドア、それは即ち外部(=社会)との
接点であり、ドアが小さいということはつまり、
「私たちはあまり社会とコミットしたくないんです。
二人だけの世界でぬくぬくしていたいんです」
という気分の表明であると、精神分析学エルカン派の祖である私としては
解釈せざるを得ないのである。
閉塞した世界こそが私たちの楽園です、という訳だ。
その他にも、
「真っ赤な薔薇と白いパンジー」
「部屋には古い暖炉がある」
「レースを編む」
「子犬」(どうせ俺の嫌いなマルチーズやプードルだろうよ)
といった歌詞から想起されるイメージは、悉く陳腐・俗悪の域を出ず、
そこに描かれる生活は徹底して伝統的な日本の風習を脱臭しており、
無思慮な西洋崇拝と対米従属を強化する洗脳装置として機能したと言えよう。
結論:『あなた』は唾棄すべき反革命的唱歌であり、21世紀に決して
残してはならない負の金字塔、昭和日本の恥部である。
- 5投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 18時10分08秒
- 狭いマンションにだってスタンド型なら入ります
- 6投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 18時12分20秒
- ピアノ買うために増築するとなると
別にプロのピアニストになる訳じゃないのに
こんなことしてていいんだろうかという
後ろめたい気持ちになるので
まず最初に大きな家を建てるわけです。
- 7投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 18時12分27秒
- >精神分析学エルカン派
指で弾くと字がきれいに書けそう
- 8投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 18時13分28秒
- おれはカルカン派
- 9投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 18時13分43秒
- >>3-4
誰の文章ですか?
- 10投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 18時14分30秒
- 猫大好き
- 11投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 18時15分00秒
- それよりもしもピアノが弾けたならの全歌詞を
- 12投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 18時17分49秒
- もしも明日が晴れならば〜
- 13投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 18時23分37秒
- 小さな股間を立てたでしょ〜
- 14投稿者:腐れ厨房(゚腐゚) 投稿日:2004年07月12日(月) 18時33分04秒
- >>9
尻ませんです。小坂明子の「あなた」検索したら出てキましたです。内容も読んでませんです。
- 15投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー 投稿日:2004年07月12日(月) 19時10分42秒
- >>13の謙虚さに涙腺がこぉ