足利義満はホモだったて聞いたんですけど本当ですか?また他にはどんな人がいるんですか??
単に昔の人は皆、バイを汚らわしい物と思っていなかっただけです。
特に偉大な人に多かったわけではありません。
終了で良いですか?
1はホモホモいってるオタ女
病気だな。
4 :
日本@名無史さん:01/10/16 02:52
芸術家に同性愛者が多いのは統計学的事実だよね。
>2の意見もわかるが、それだけでもなく、他のファクターも何かあると思われ
日本衆道の歴史でも勉強してきてください<1
-----------というわけで終了。
せっかくなので旗でも立てておこう
___
│掠疾│
│如如│
│火風│
│不徐│
│動如│
│如林│
│山侵│
│――
│
│
│
│
│
7 :
ワシントン会議:01/10/16 14:00
戦国武将は大抵そう、織田信長は有名、信玄は両刀(男宛の恋文も残っている)前田利家も有名、上杉謙信は女を抱かなかったの戒律ではなく興味がなかっという説もある。
8 :
性の価値観の多様さ:01/10/16 14:26
現代では、ホモ、いわゆる男色は、性の常態ではないですが、江戸以前は
性の嗜好としては、市民権とまでいかないが、社会的に容認されてました。
日本に限定すると、男色は寺院からおこります。僧になる前の有髪の子供を
稚児とよび、女の子よろしく、お化粧をほどこし、高僧たちのお相手をつとめて
ました。起源は喝食(かつしき)といって、給仕など雑用をする目的であった
のが、女人禁制の寺院で、まあこれは仏教の堕落ですが、女性の役割をする
ようになったのです。この頃の話では、稚児同士の恋の鞘当や寺院関で美しい
稚児をうばいあう、等のはなしが多くのこってます。
次に貴族の間で、男色がはやりだします。これは、仏教の普遍化でお寺
に出入りするうちに、貴族にも稚児の好みが感染したんでしょう。
貴族が自廷に寵童をおくようになったり、同僚や同僚の子弟を男色の対象
としだします。ここにきて、男色が絡む政治トラブルがふえてきます。
権力者に、昔愛されたお稚児が、成長して、政治に悪影響をおよぼす、という
例が、かなりふえてきます。権力者のほうも、昔の面影に引きずられ、
むげに退けられなくなるという次第になるのです。保元の乱などは、この例です。
次は武士に感染します。でも、足利の中期までは、高級武士の間のみで、
全ての武士が、その嗜好を持つ、という風にはいたりません。
足利時代は、もっとも男色が政治や文化に影響をあたえました。スレでも
いっている、世阿弥と義満の関係など、そのさいたるものでしょう。
永享、嘉吉の乱も男色が誘発しています。
そして、戦国時代になり、戦場に長時間常在しなければならないことや、
味方同士の結束や士気がなにより、優先されるようになったことや、
死が常に、生み出されることから、人材の供給という点からの、年少者への、
教育と世代同士の結びつきの強化、等から、男同士の関係がより緊密になった
ことから、中世からの、ゆがんだ性の遊びとしての男色から、変な表現ですが、
健康的な男色へと変化しました。
以上から、男色は社会的背景をぬきには、成立してません。
ただ、成人した男同士の恋愛をここでは、いうのではなく、どの時代
でも、年長者が若年者をその対象にする(下の者の意思は問題にしない)
という構図です。よって、同性愛者とは全くいう意味がことなります。
だから、その時代においては、かれらは、その状況でありえるであろう
普通の人間関係を、自分のその時の好みから、ただ選択した、という感覚
なのでしょう。信長が少年の前田利家に‘とぎをいたせ’といったて、
現代の同性愛の感覚でいっていたとは考えられないでしょう。
12 :
名無しさん脚:01/10/17 01:02
>下の者の意思は問題にしない
少なくとも利家たんは喜んでいたみたいでしゅ。大河ドラマが楽しみ。
13 :
日本@名無史さん:01/10/17 01:21
それにしても、具体的にどういうことするんですかね?
やはりアナルセックスですか?
しかし、そんなことなかなかできませんで よほど鍛錬せんかぎり
14 :
日本@名無史さん:01/10/17 01:57
あんなる以外に入れる場所ないでしょ
15 :
日本@名無史さん:01/10/17 01:59
>13
スマタ、というテクも昔からあるよ。現代風俗で大々的に復活したのは
面白い。
16 :
日本@名無史さん:01/10/20 23:51
17 :
【^▲^】ヤマト退屈男@”””管直”””入:01/10/21 00:06
★麻呂には衆道の気があるで御JAL
麻呂は菊のご紋が大好きなので御JAL
だから麻呂も偉人なので御JAL
18 :
日本@名無史さん:01/10/22 00:16
19 :
日本@名無史さん:01/10/22 00:48
江戸時代アンチ男色派・男色派の主張。
アンチ
・陰陽和合に反している
・美少年が原因で殺傷事件・お家騒動となる
・子供が生まれないとこの世は消滅する
男色派
・若道は高尚な趣味
・結婚は親の意志、若衆との恋は自由意志
・仏教の悟りを体現している
・礼と義を守る道ゆえ冷静に行動できる
20 :
日本@名無史さん:01/10/22 09:48
利家は青年時代に痴情のもつれで信長のお稚児さんを殺して信長から
追討命令が出たため、三河に亡命しています。
ちなみにこの時手はずを整えたのが秀吉、匿った水野家・久松家は
共に家康の親族だから人の縁はわからん。
21 :
日本@名無史さん:01/10/22 09:54
>>20 秀吉は利家の親友だったはず、
手心を加えたんでしょうね。
22 :
世界@名無史さん:01/10/22 16:38
利家っていうと、ジジイっつーイメージがあるんで、びっくりした。
23 :
日本@名無史さん:01/10/23 11:37
利家の幼名は犬千代。少年の頃より信長につかえる。名のとうり、子犬のような愛らしい
美少年だったそうな。
日本史板の人たちなら、知ってると思うけど一応書く。
武田家、追討後、信長は幹部達を居城安土にて、饗応し、自ら彼らに盃を饗する程機嫌が
よかった。利家の前に来たとき、彼のヒゲをつまみながら、‘こいつは、年少のおり、
ワシの側で寝かしたのだ。まこと秘蔵でのぅ’
居並ぶ武将たちは、少年の頃からの利家の幸運に、羨望と感嘆の言葉をはっし、利家もその場の
わが身の面目に得意をかんじましたとさ。
24 :
ワシントン会議:01/10/23 14:14
22さん、秀吉はその気全然なし。
25 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/23 23:46
家康の男色疑惑は井伊直政とだけなの?
秀吉が石田三成を取り立てたの同じように、
その才覚に目をつけただけだったりして。
26 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/23 23:56
秀吉と家康がおホモ達だったら恐ろしいなあ(笑い
27 :
日本@名無史さん:01/10/24 23:34
>>23 犬年だから犬千代じゃなかった?
愛智十阿弥やレス23の話は当時の史料に出てくる史実でいいんですか?
江戸時代の創作じゃないんですね?
28 :
日本@名無史さん:01/10/25 00:21
秀吉が男色に興味無いのは、やはり農民の出だからですか?
西郷隆盛はホモです。
もちろん、女性に興味なかったんじゃなく、両方オッケーだったわけ。
西洋ですと、
セクースは子供を作るためのものでなきゃならーん!
て考えが強い。
これは非常に宗教的な考えで、とにかく子供を増やせって発想から。
旧約聖書に「生み栄えよ」って文句があるでしょ?
同性愛は悪いって考えは宗教によるばあいが多い。
日本ですと、もともとの文化風土もあると思うんですが、同性愛が悪いと言う発想は希薄。
好色一代男の主人公・世之介は「女1000人、男500人とつきあった」と豪語してますが、
男とも「情を通じる」ことができるやつが「いい男」って考えもあったと思う。
女にしか興味ないアボーンより、むしろ文化的である、という考えもあった。
この辺に、かなり原始的な段階から急速に文明化していった、
と言う日本列島の歴史が反映されとるのかも知れん。
日本史とずれてしまうが諒承されたい。
チャイコフスキーはホモでした。グッチもホモです。
歌手だとエルトン・ジョンがホモです。
たしかに、いわゆる「文化人」はホモ多いです。
そこでわたし考えた:
女に興味がない男だと、非常に美しいものが作れるのかも知れない、と。
女が好きだと、何か下品な芸術作っちゃいそうだよね〜。
その代わり、洒落っ気はそっちのがありそうだけど。
31 :
日本@名無史さん:01/10/29 10:18
余談だが、ファッションデザイナーで、ホモでないのは、山本耀司とジャン・フランコ・フェレ
ぐらいだそうだ。やはり、この二人の服は激しく、際立って構築的な面が強い。
なめらかな美、に関しては、男の感性は有効ではないのかも。
32 :
日本@名無史さん:01/10/29 11:32
日本史上確実にホモである人物
空海
嵯峨天皇
藤原頼長
後白河法皇
平重盛
北条高時
近衛基家
足利義満
足利義教
足利義輝
織田信長
武田信玄
上杉謙信
徳川家光
徳川綱吉
徳川家宣
間部章房
西郷隆盛(薩摩藩士は殆どがホモ経験あり)
閑院宮純仁
他にいますか?教えてください。
33 :
日本@名無史さん:01/10/29 12:39
>>32 前田利家も加えてくれ。
あと上杉謙信はホモ相手いたの?
結婚してなかっただけだから本当に糞真面目に戒律守ってただけかもよ。
34 :
この切り口はおかしいぞ:01/10/29 17:57
>>1 >歴史的に偉大な人には同性愛者が多いってホント??
同性愛者、ホモは現代の文脈から発生している。
だからこの質問そのものが変である。
35 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/29 18:49
私のようなドキュソにもいますよ。
馬鹿にも英才にも、ドカチンにも官僚にも、
貧乏人にも資産家・高額所得者にもいますよ。
ただし、昔の日本では、まず僧侶、そして宮様・公卿、
更に上級武家、下級武家、江戸時代にはいると町人、
と男色文化が拡大していったようです。
それでも、男色文化だの衆道だのとは無関係に、
昔からどの階層にも先天性の真性ホモはいたことでしょう。
36 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/29 19:01
秀吉は尾張の足軽百姓、家康は西三河の小土豪だから、
男色などという(当時は)流暢な文化を理解出来なかったのだろう。
37 :
日本@名無史さん:01/10/30 01:59
>>36 男色に触れる機会がすくなかったからそっちの方面に進む可能性は削がれるが、
男色そのものは身分とか階級に関係無く存在するものだということは知っていてね。
38 :
日本@名無史さん:01/10/30 10:57
801板に(・∀・)カエレ!
39 :
ワシントン会議:01/10/30 13:15
秀吉がある美少年の小姓に声をかけた、周りの衆は「太閤様もその気があったか」と言っていた、しかしは秀吉は「そちには姉か妹はおらねか?」と尋ねたという話が残っている。
40 :
日本@名無史さん:01/10/30 15:08
明治天皇は美少年ぽいが、薩長の皆様はうずくことはなかったんだろうか・・・
日本の歴史=男色の歴史。新宿2丁目のホモたちが、喜びそうな話題だね。
中学、高校の歴史教科書で書かれないからなぁ。
結構、歴史好きの人だったら、みんな知ってることだけどね。
こういう、風俗、風習、習慣みたいな歴史的事実をもっと、勉強したいものだ。
どうも、評論家とか、時代小説家とか現代の習慣からきた感性で歴史を
論じがちだと感じるなぁ。
42 :
日本@名無史さん:01/11/06 00:26
このあいだの授業で先生が嬉しそうに
武田信玄の男に宛てたラブレターを紹介してたね。
43 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/06 00:27
土佐は男色が根強い土地だった(あくまで過去形だよ)が、
山内容堂や坂本龍馬がその気があったとは聞いたことが
ない。
44 :
日本@名無史さん:01/11/06 00:28
会津もホモだしね。
45 :
日本@名無史さん:01/11/06 00:31
>>43 なんで男色が根強かったの?
高知人としては気になるんだけど。
46 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/06 00:32
薩摩、肥後、肥前、筑前、筑後、土佐、伊予、阿波、
会津などで男色がお盛んだったそうです。
47 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/06 00:33
>45
理由は存じ上げません。
48 :
日本@名無史さん:01/11/06 00:37
男尊女卑の顕著なあらわれなんでしょうか?それって。
女なんぞとは、床につかん!なんて。
49 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/06 00:41
真性ホモと違い、習慣的な(?)両刀だったのでは?
50 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/06 00:47
維新後、東京や大坂でも学生さん・書生さんの
間で男色ルネサンスが起こり(薩摩の影響)、
陸軍士官学校校長だった長州出身の三浦梧郎は
手を焼いたそうな・・・
51 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/06 00:53
講談社新書『武士道とエロス』に詳しく書いてあります。
上杉謙信がホモだったかどうかは知りませんが、
彼が一生涯女性と関係しなかったことは事実だと思います。
偉い人が子供作らないなんてアリ?
って気もするけど、非常によく似た例で、管領家の細川政元がいる。
彼は管領家の嫡流だったにも関わらず、子供がいなかった。
これには戦国時代に流行した山伏信仰によるものらしい。
一生涯女性とセックスしないでいると、霊力が授かると考えられてたらしい。
上杉氏(当然、長尾氏も)は以外と京都に深く関わっていたから、
謙信がその山伏信仰の影響を受けていても不思議はない。
上杉謙信のあの悪魔のような強さには、性欲を発散しきれない鬱憤があったかも知れない。
細川政元も、残忍かつ有能な政治家だった。
もっとも、政元は「男で」発散してたかな?
53 :
日本@名無史さん:01/11/06 00:57
>>52 謙信は京都で遊んで性病を移されていたが何か?
54 :
日本@名無史さん:01/11/06 00:58
>44
薩摩の方ですか?
しかし西郷と桐野は同性愛らしいですね。
55 :
日本@名無史さん:01/11/06 01:01
56 :
日本@名無史さん:01/11/06 01:04
上杉謙信って実は女じゃなかったのか・・・・?
57 :
日本@名無史さん:01/11/06 01:36
58 :
日本@名無史さん:01/11/06 01:38
52>性欲を発散しきれない強さ。というのは、面白いコメントですね。そうかもしれません。
話し変わりますが、
男色がはやったとき、当時の武将達は、自慰行為なんぞは、どういう認識だったのでしょうかね?
やってたのかな?くだらない質問ですんまそん。
59 :
日本@名無史さん:01/11/06 01:45
☆大化の改新を行った中大兄皇子こと天智天皇もホモらしいです。
60 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/07 22:55
トッティの陳歩晒し上げ!
61 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/07 23:02
それにしてもイタリア男って素☆敵ね♪
62 :
日本@名無史さん:01/11/07 23:05
ポンペイの遺跡はチンチンだらけ。
63 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/07 23:15
あれじゃ女もオカマもチンポを吸いたくなるわけだ。
>>59 中大兄は同母妹との近親相姦関係にあったという説もありますね。
僕は全然皇室擁護派ではありませんが、
とかく歴史上の有名人の男色が好奇の対象に陥りがちなのは不満ですね〜。
僕はね、天皇がホモだろうと、西郷隆盛がホモだろうと、かまわないと思うんです。
だって、ホモが悪いという考えはもともと無かったんだから。
いや、万葉集なんかを読んで、この皇族はホモなり! と解釈してもいいと思うけどさ、
それを歴史に反映させて考えると大失態犯すと思う。
母子相姦問題にしたってさ、それを近江朝の敗退に結びつけたりしちゃうと、
山岸涼子の「日出る処の天子」を鵜呑みにしてる連中と変わんないわけだよ。
あれって、聖徳太子と妹(刀自郎女だったっけ?)がやっちゃう……
な〜んて話なんだよね(フィクションはフィクションでいいのさ)。
個人の問題はあくまで個人の問題。
歴史上有名な人物も無名な人物も、ホモはホモ。個人の問題だと思うよ?
66 :
【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/08 20:57
私のホモとドキュンぶりとも無関係です。
伊達政宗がもれてます。
政宗50歳頃の側小姓のひとりで、
只野作十郎という人がいますが、無実の浮気疑惑を
かけられたとき、起請文(自分の腕を刺した血つき)
を書いてます。
政宗から返事の文も、仙台市博物館にあるそうです。
個人的歴史ですね。
覗き見てきなものがこういうのかな。
68 :
日本@名無史さん:01/11/28 22:16
ホモは人類の敵。絶滅すべし。
69 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー@黒潮:01/12/02 13:28
今日の日本史板は荒れているから、
これで息抜きしませう。
70 :
日本@名無史さん:01/12/02 14:51
というか当時は男色は女色以上に好意的に思われてて。
男色は男気が良い、爽やかである、堂々としている
とか明るいイメージだったんだよね。
71 :
日本@名無史さん:01/12/04 18:04
はーん。だから俺の学校にはホモが多いんだ(ワラ
特に下から上がってきた仲間には多いね。西郷とか伊達、
徳川の同級生は違った(どれも女)けど。
72 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー@黒潮:01/12/06 22:08
男色は人類の恥だ。
>>1 百代目の後小松天皇の本当の父親は足利義満だ、というウワサも有ります。
>>32 八切止夫という作家には「上杉謙信は女だった」という著作があります。
75 :
日本@名無史さん:01/12/07 00:19
柳沢吉保に限らず、江戸幕府の「側用人」について考える際、避けては通れない問題と思われ。
言い換えれば、男色なくして政治史は解けません。代々の将軍の好みや身辺関係など、もっと議論する余地がある筈です。たぶん。
76 :
日本@名無史さん:01/12/07 00:32
院政期なんて男色関係を考慮に入れないとわけわからない。
いきなり出世したと思ったら院の男色相手だったとかある。
77 :
日本@名無史さん:01/12/07 01:55
だてまさむねにはサクノシンと言う
相手がいた
78 :
【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 19:50
公家・宮家・武家・僧侶には脳梁の曲がった人が多かったのかな?
79 :
日本@名無史さん:01/12/11 19:52
人物の功績と人格は、一応別物である。
80 :
【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 19:58
男性の千人に一人は同性愛者(両刀使いを含め)。
81 :
日本@名無史さん:01/12/11 20:48
ジョーカーさん、一過性のホモを含めると男性に十人に一人の割合では
ありませんでしたか?
82 :
【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 21:05
81さん、もしかして私自身がそう言いましたか?
83 :
日本@名無史さん:01/12/11 21:15
い わ く ら と も み
84 :
日本@名無史さん:01/12/11 21:16
た け だ し ん げ ん
85 :
【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 21:17
岩倉具視はゲイじゃなく芸者好きじゃなかったっけ?
86 :
【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 22:33
モーホー撲滅!
87 :
【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 22:40
強姦と乱交も撲滅!
88 :
日本@名無史さん:01/12/12 22:17
吉良上野介と浅野内匠頭
痴情のもつれが松の廊下の悲劇をもたらしたと云う珍説が・・・・・
>>44・
>>46 南の方は知らんけど、会津は教育が厳しくて什という決まりの中に
「女の人と話してはなりませぬ」というのがあったそうです。それでじゃないかな?
戦国時代に戦場には女はダメだから女中のかわりの少年らがいて、お茶汲みとかやっていたって本当なのでしょうか?
あと女人禁制の坊さんとかは、まあ、そういうことで。
91 :
日本@名無史さん:02/01/03 20:52
92 :
日本@名無史さん:02/01/08 03:00
あのー、平賀源内が男色家というか陰間茶屋の上客だったというのは
相当有名なことだと思ってたのですが。
違うんですか?
明治以前の日本には、同性愛が禁忌と言う考えは普及していなかったようです。
それは宗教の問題にも関係あります。
ザビエルが日本に布教しにくる前まではキリスト教と言うものは存在しなかったのです。
つまりそれは、キリスト教の「ソドム」と言う考えも日本になかったと同義です。
仏教ではご存じのように同性愛を忌む習慣はありません。
さらに、昔の武士の同性愛は「衆道」といって、一種神聖なものとされていました。
肉体的関係をもつことによって、主従の絆が強まるとされていました。
殿様の小姓になる少年たちは、後の重臣に出世する「エリート予備軍」ですし。
あと、誤解されている方が多いようですが、森蘭丸なんかが有名な「小姓」は
戦場では、殿様(総大将)の身辺警護の任を負っていました。
戦場では女性は連れて行けないですしね。秀吉が淀殿とかを連れて行ったのは
ああいうかたちの戦だったのでってことで(w
戦場の夜のおあいてはそうなると必然的に小姓ということになります
日本の武家文化って、結構男色なしでは語れないんですよね。
けっして801の道具ってわけじゃないのであしからず
補足、仏教でも同性愛はちょっと・・・・・ですよ、確か大陸のほうでは。
日本に来てからだったと記憶しています。
兎が何羽とかいう話では無いのですが「女がだめだったら・・・」という思考だったとか。
そして衆道については93さんの通りだと思う。
801のおかずにするようなもんじゃねえ。
久坂義助は生涯一度も女を知らなかったと聞きますが、それは松蔭の考えを受け継いだからではなく
ホモだったからではないでしょうか?
96 :
日本@名無史さん:02/01/09 04:46
801と衆道と男色の違いについて誰か教えて下さい。
いや、これはネタでも煽りでもなく。真面目に。
>>96 801は当事者でない人間の創作または妄想で男性同性愛関係を想定すること。
男色と衆道はほぼ一緒でいいだろう。衆道のほうは少なくとも片方が少年に限るかもしれないが。
98 :
日本@名無史さん:02/01/10 05:11
>>95 確かに女好きが多い松門一家の中で女を一度も抱かないっていうのはおかしすぎる・・・
99 :
日本@名無史さん:02/01/10 05:27
義兄弟的なニュアンスを含む念兄・念弟の関係(=衆道)と、
お金で一時の快楽を買っちゃうような陰間買いとは結構違うの
ですか?お坊さまの間ではまた別のニュアンスが??
100 :
日本@名無史さん:02/01/10 05:39
100ゲット♪
101 :
日本@名無史さん:
足利義満の陰に隠れているけれど、息子の義持もなかなか。
なにせ一休宗純と称光天皇の実父って話もあり。
(三谷茉莉男「淫の日本史」)